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讃岐国府跡(さぬきこくふあと)は、香川県坂出市にある飛鳥時代から鎌倉時代の国府跡である。2020年(令和2年)3月10日、国の史跡に指定された。
座標: 北緯34度17分36.8秒 東経133度55分06.4秒 / 北緯34.293556度 東経133.918444度
讃岐国府跡
解説
古代の条里制地割が良好に残る綾北平野の最奥に位置する古代讃岐国の国府跡。讃岐守を務めた菅原道真の漢詩集『菅家文草』の記載や周辺の地割の検討などから、周辺施設や景観も含めた国府研究が早くからなされてきた[1]。2011年(平成23年)からは香川県教育委員会による開法寺東方地区の発掘調査が開始され、国府成立以前の7世紀中葉から廃絶後の13世紀にかけての遺構が検出された[1]。それよると7世紀後半には、初期讃岐国府か阿野評家、史跡城山(きやま)の関連施設等の可能性が指摘される正方位を指向する官衙関連遺構が出現し、8世紀前半には条里地割方向の規則性が高い施設が現れる[1]。そして、8世紀中葉から11世紀にかけては、大型建物をはじめとする複数の掘立柱建物からなる方1町程度の区画が現れ、建て替えを繰り返しながらも長期にわたって維持される[1]。11世紀中葉から13世紀になると、井戸を有する一辺40メートル程度の屋敷地が3ブロック確認されるようになる。7世紀中葉から13世紀にかけての国府域の変遷を知ることができるとともに、『菅家文草』の記載や付近の地割などから国府とその周辺の景観を復元するための情報にも恵まれており、古代国家による地方支配の実態を知る上で極めて重要な遺跡である[1]。
所在地
- 〒762-0024 香川県坂出市府中町5059
脚注
外部リンク
- 讃岐国府跡探索事業(香川県埋蔵文化財センター)