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生涯
江戸藩邸にて産まれた。
延宝6年(1678年)12月28日に従五位下安芸守に叙任された。学問に優れていた経緯から、学問好きであった将軍・徳川綱吉の師事を受けた。元禄8年(1695年)、父の死去により跡を継いだ。江戸火消役や山里丸門番のほか、流罪となった吉良義周の身柄預かりなどを務めた。しかし、藩政においては江戸藩邸の焼失や元禄大地震における災害などにより、藩財政の窮乏化が始まった。
享保16年(1731年)7月2日に69歳で死去した。嫡子(三男)の忠尋が早世していたため、養嗣子の忠林が跡を継いだ。
文雅に秀でた父と同様に、忠虎は俳諧を嗜み服部嵐雪や宝井其角に学んだ。藩内で俳諧が流行ったらしく、藩士らと俳諧の会を行っている。
系譜
父母
正室
- 越前国松岡藩主松平昌勝の娘
側室
- 妙華院
- その他
子女
- 右京(長男) - 生母は正室。早世。
- 盛太郎(次男) - 生母は正室。早世。
- 諏訪忠尋(三男) - 生母は正室。23歳で死去。正室は永井直敬娘。
- 勝之丞(四男) - 生母は正室。早世。
- 助藏(五男) - 生母は正室。早世。
- 八十之丞(六男) - 生母は側室。早世。
- (諏訪忠休)(七男) - 生母は側室(伴氏)。早世。
- 於栄 ー 伊予国吉田藩主伊達村信正室。生母は側室。
- 娘 ー 信濃国飯山藩主本多助有正室。生母は側室。
- 雲台院 ー 諏訪忠林正室。生母は側室。
婿養子