歴史
寺伝によると天平勝宝4年(752年)孝謙天皇の命により報恩大師が建立した(備前四十八ヶ寺)の一つであるという[1]。
平安末期、浄土信仰が盛んになると、西光寺は浄土に近い場所と民衆に信じられ多くの参拝があったと伝えられている[2]。また、旧参道に沿って大門があり、三重塔や安養院、本覚院、竹之坊、岩本坊などの院坊があった[2]。
1192年(建久3年)持運が再興したと伝えられている[1]。 1367年(永和2年)住職である浄阿が、備前吉岡庄の友永に造らせた鰐口(赤磐市指定文化財)に「菖蒲谷西光寺」との銘文がある[1]。
1595年(文禄4年)12月の備前国四拾八ヶ寺領井分国中大社領目録写(金山寺文書)には西光寺が菖蒲谷山として記載されており、宇喜多秀家より寺領20石が認められている[1]。 本尊は阿弥陀如来で[2][注釈 1]、台座には、元禄8年(1695年)の銘がある[1]。脇侍として元禄9年(1696年)の銘がある観音菩薩像と勢至菩薩像がある[1]。
岡山藩政下では寺領6石程度で主院が随縁院、他に安養院・真如院・地蔵院・本覚院があったとの記録が吉備温故秘録に記載されている[1]。また、1838年(天保9年)の『「手鏡」 森文書』の記録によれば、寺3軒、出家1人で安養院と地蔵院は無住職で寺領の内訳は本尊2石程度、随縁院が1石程度、安養院と地蔵院が併せて1石程度であり、寺構の鎮守三王があったとのことである[1]。
伽藍
文化財
脚注
注釈
- ^ 本尊は行基作と伝承する。