裳懸 景利(もかけ かげとし)は、戦国時代の武士。小早川氏の家臣。
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略歴
正応元年(1288年)、竹原小早川氏の初代・小早川政景は備前国裳懸庄[1]地頭職を賜り、代々その地を受け継いでいくこととなる。その地を治めるため現地に赴いた竹原小早川氏の家臣、もしくは庶流家が、後に現地の地名をとって姓とした一族が裳懸氏である。その後、竹原小早川氏は裳懸庄を手放し、この時、裳懸氏も安芸国へ撤収している。
(裳懸河内守盛聡)(もりとし)の子として誕生。小早川隆景の代に活動し、その偏諱を受けて景利と名乗る。
永禄4年(1561年)、景利は毛利元就・隆元父子が小早川隆景の居城・新高山城を訪問した際、父・裳懸盛聡と共に召しだされ、杯を受けている。