経歴
文化3年(1806年)に光格天皇の御児[3]として内廷に勤務し[2]、天保3年(1832年)蔵人[2]。嘉永4年(1851年)従三位[2]、安政2年(1855年)参議[2]と昇進を進める。安政4年(1857年)議奏に就任し、翌年の条約勅許問題に関与した[2]。
安政6年(1859年)権中納言となるも、万延元年(1860年)辞職[2]。慶応3年(1867年)、孝明天皇より御児・蔵人・議奏として幼少から3代の天皇に仕えた功績に対する「御憐愍」により[3]、権大納言に就任[2]。
系譜
脚注
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 日本歴史学会編『明治維新人名辞典』吉川弘文館、1981年。