事績
清朝最末期の新疆巡撫袁大化の下でカシュガル道台を務めた。1912年(民国元年)、袁大化は北京政府から新疆都督に任命された。しかし、イリ革命党の蜂起により省内を統制できず、同年4月、袁大化は袁鴻祐を後任の都督に推薦した。ところが袁鴻祐は、正式着任前の5月7日に哥老会の刺客により暗殺されてしまう。袁大化は、新疆提法使楊増新を代わりに推薦すると、新疆から逃亡した[3]。
脚注
参考文献
- 陳寧生「楊増新」中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第10巻』中華書局、2000年。ISBN (7-101-02114-X)。
- 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN (7-101-01320-1)。