行空 ぎょうくう 生没年不詳 は 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての浄土宗の僧 美濃 一説では美作 の人と伝えられる 房名は法本房 法然の高弟となった後 一念往生義 を説き 専修念仏の普及に大きな役割を果たした しかし 1205年 元久2年 興福寺の僧徒から 興福寺奏状 をもって専修念仏停止の訴えがあった際 遵西とともに非難の的となり 興福寺側への配慮から法然により破門された この事件は 法然