藤原 高経(ふじわら の たかつね)は、平安時代前期の貴族・歌人。藤原北家、権中納言・藤原長良の四男。官位は正四位下・右兵衛督。
経歴
右衛門大尉・蔵人を経て、貞観13年(871年)従五位下に叙爵し、翌貞観14年(872年)(相模権介)に任ぜられ地方官に転じる。甥の陽成天皇が即位した翌年の元慶元年(877年)従五位上に叙せられ、陽成朝では右衛門権佐・左兵衛権佐と武官を歴任。
光孝朝でも左衛門佐と引き続き武官を務め、仁和2年12月(887年1月)には高経の別荘に光孝天皇の行幸があり、まもなく正五位下に叙せられている。仁和3年(887年)宇多天皇の即位に伴い蔵人頭に任ぜられるが、寛平2年(890年)病により蔵人頭を辞任。同年従四位下・右兵衛督に叙任。寛平5年(893年)5月19日卒去。
官歴
注記のないものは『古今和歌集目録』による。
系譜
『尊卑分脈』による。