藤原 貞庭(ふじわら の さだにわ)は、平安時代前期の貴族。名は真庭とも記される。藤原式家、中納言・藤原縄主の子。官位は従五位下。
経歴
仁明朝において、春宮坊少進を務めて春宮・恒貞親王に仕える。しかし、承和9年(842年)承和の変が発生して恒貞親王が春宮を廃されると、春宮坊の官人らは連座して罰せられ、貞庭は(佐渡権掾)へ左遷された。
その後罪を赦されたらしく、清和朝に入ると貞観元年(859年)従五位下・(上総介)に叙任される。翌貞観2年(860年)正月に大蔵少輔として京官に遷るが、11月には大宰少弐に転じると、貞観5年(863年)(筑前守)と、九州の地方官を務めた。
官歴
『六国史』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原縄主
- 母:従五位下清正の娘
- 生母不詳の子女
- 男子:藤原基興