藤原 行道(ふじわら の ゆきみち)は、平安時代初期の貴族。藤原北家、参議・藤原楓麻呂の孫。従五位上・藤原城主の長男。官位は正五位下・(美作守)。
経歴
弘仁8年(817年)正七位上から五階の昇叙により従五位下に叙爵。のち、嵯峨朝では民部少輔・(美作介)・(近江介)を歴任し、淳和朝の天長7年(830年)兵部少輔に任ぜられる。
仁明朝に入り、承和2年(835年)18年ぶりに昇叙され従五位上となる。のち、(丹後守)・刑部大輔を経て、仁明朝末の嘉祥2年(849年)今度は14年ぶりに昇進して正五位下に叙せられた。仁寿3年(853年)美作守に任ぜられるが、在任中の斉衡元年12月19日(855年1月11日)(卒去)。享年66。最終官位は美作守正五位下。
人物
官歴
『六国史』による。
系譜
『尊卑分脈』による。