藤原 興方(ふじわら の おきかた)は、平安時代中期の貴族。藤原南家巨勢麻呂流、武蔵守・藤原経邦の子(四男か)。官位は従五位上・(大和守)。
経歴
初め醍醐天皇の六位蔵人に補され、延長8年(930年)4月には穢による賀茂祭の停止を奏上する。朱雀朝の天慶元年(938年)主殿助を兼ねる。従五位下に叙爵後、天慶6年(943年)(尾張守)に任ぜられて地方官に転じる。少なくとも天慶9年(946年)まではこれを務めている。
村上朝の天暦4年(950年)頃には(美濃権守)を務め、時期は不明ながら(大和守)にも任ぜられている。天徳4年(960年)3月29日前に(卒去)。最終位階は従五位上。
右大臣・藤原師輔の正室・盛子は姉妹にあたるため、興方は兼家や中宮安子からみて伯(叔)父にあたる。興方が卒去した際に安子が喪服を着した。
官歴
系譜
『尊卑分脈』による。