藤原 家政(ふじわら の いえまさ)は、平安時代後期の公卿。藤原北家、関白・藤原師通の次男。官位は正三位・参議、左近衛中将。
経歴
寛治2年(1088年)に従五位下に叙位。同8年(1094年)侍従となり、同年昇殿。承徳2年(1098年)左中将、康和4年(1102年)参議、従三位と進み、永久元年(1113年)に正三位に至るが、2年後の同3年(1115年)に36歳で早世した。
父が早く他界した後は、祖父・師実に養われていたという。『富家語』第138条には、師実が外出から戻った際にその足を洗う役目を少年期の家政が務めていたことが語られている。また、粗暴で作法に疎かったとされ、『中右記』(嘉承元年正月7日条)には、勅使から酒を賜った際の作法の誤りの酷さに非難を受けたことが記されている。