藤原 光昭(ふじわら の みつあきら)は、平安時代中期の貴族。藤原北家、摂政太政大臣・藤原伊尹の四男。官位は従四位下・左近衛少将。
経歴
円融朝初期の執政である太政大臣・藤原伊尹の庶子であったが、伊尹は天禄3年(972年)に外孫である春宮・師貞親王(後の花山天皇)の即位を見ることなく没したため、後ろ盾を失った光昭の昇進は停滞した。
円融朝にて、侍従・左近衛少将を経て、天元3年(980年)五位蔵人に補される。天元5年(982年)正月に従四位下に叙されるが、同年4月2日の午の刻に卒去。これを受けて姪の尊子内親王は落飾した[1]。
官歴
脚注
参考文献
- 市川久編『近衛府補任 第一』続群書類従完成会、1992年
- 市川久編『蔵人補任』続群書類従完成会、1989年