藤原 伊勢人(ふじわら の いせんど)は、平安時代初期の貴族。藤原南家、参議・藤原巨勢麻呂の七男[1]。官位は従四位下・治部大輔。
経歴
延暦15年(796年)かねてから一堂を建て観音を祀りたいと祈願していたところ、霊夢の託宣により鞍馬山に導かれ、同地に毘沙門天像が祀られているのを発見。さらに再度の霊夢により、観音と毘沙門天の同一なることを告げられ、これに深く感銘を受けて同地に伽藍を建立した。これが現在の鞍馬寺の起源となったと伝わる[2][3]。また同年に桓武天皇により造東寺長官に任命され、東寺を建立したともされている。同年(阿波守)を経て、延暦22年(803年)従五位下に叙爵。
延暦25年(806年)平城天皇の即位後間もなく(安芸守)として地方官に転ずる。大同3年(808年)斎宮頭に任ぜられ京官に復す。
大同4年(809年)嵯峨天皇の即位後に従五位上に昇叙され、翌弘仁2年(811年)右中弁に栄転するが、弘仁3年(812年)には早くも(因幡守)に転じている。弘仁11年(820年)正五位下、弘仁13年(822年)従四位下と嵯峨朝末になってから俄に昇叙された。
人物
性格は几帳面で政務に熟練していた。小作人のような洗練されていないところがあり、やや世情に疎かった。勤務に精励したが、極めて寛容さに欠け、同僚を困らせることがあったという[1]。
官歴
注記のないものは『六国史』による。
系譜
『尊卑分脈』による。
- 父:藤原巨勢麻呂
- 母:不詳 - 出自は不明だが、『尊卑分脈』によると川合・真書・伊勢人は同母兄弟であるとされる。
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:藤原友永