藤原 世嗣(ふじわら の よつぐ)は、平安時代初期の貴族。名は世継とも記される。藤原式家、中納言・藤原種継の四男。官位は従四位上・(伊勢守)。
経歴
桓武朝の延暦19年(800年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵し、大学頭に任ぜられる。平城朝から嵯峨朝にかけて侍従を務める傍ら、宮内卿・右少弁・(下総介)の諸官を兼ね、この間の弘仁3年(812年)従五位上に叙せられている。
弘仁12年(821年)正五位下、天長3年(826年)従四位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進する。のち、(伊勢守)として地方官に転じ、天長8年(831年)正月には従四位上に至るが、同年3月11日(卒去)。享年53。
人物
若い頃から物事を幅広く学び、鋭意精進した。自分に優れた才能に欠ける事を知り、目下の者に物事を尋ねるのを恥じなかった。人々に恭しく謹み深く接し、常にそれを忘れなかった。伊勢国司を務めたが、毀誉褒貶はなかった。
兄の訃報に接して百里の道のりを駆けつけるが、1ヶ月も経過しないうちに、後を追うように没したという[1]。
官歴
『日本後紀』による。
系譜
- 父:藤原種継(737-785)
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:藤原永峯
脚注
出典
- 森田悌『日本後紀 (下)』講談社学術文庫、2006年