魏晋南北朝時代
隋代
隋初には、舒州は豫州と改称され、5郡を管轄した。602年(仁寿2年)に溱州と改称され、606年(大業2年)に蔡州と改称された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い蔡州は汝南郡と改称され、下部に11県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
621年(武徳4年)、唐が王世充を平定すると、汝南郡は豫州と改められた。742年(天宝元年)、豫州は汝南郡と改称された。758年(乾元元年)、汝南郡は豫州と改称された。762年(宝応元年)、豫州は蔡州と改称された。蔡州は(河南道)に属し、汝陽・朗山・遂平・郾城・上蔡・新蔡・褒信・新息・平輿・西平・真陽の11県を管轄した[1]。
宋代
北宋のとき、蔡州は(京西北路)に属し、汝陽・上蔡・新蔡・褒信・遂平・新息・確山・真陽・西平・平輿の10県を管轄した[2]。