歴史
南北朝時代の建武2年(1335年)、(小国政光)により下越の南朝方諸将の拠点として蒲原神社の建つ(金鉢山)に蒲原津城が築城された。
小国氏をはじめ、池氏、河内氏、風間氏、(於木氏)、(千屋氏)、高梨氏ら南朝方の拠点として機能していたが、暦応4年(1341年)6月、北朝方によって落城した。
以降は越後は北朝の支配下となり、蒲原津城は蒲原神社ともども廃棄された。
蒲原神社は戦国時代末期に新発田重家によって金鉢山に再建されたが、元禄元年(1688年)に発生した信濃川の決壊で被害を受け、元禄3年(1690年)に現在地(新潟市中央区長嶺町)に移転した。
参考文献
- 小林昌二 『古代の蒲原津と「四度目沼垂町割絵図」』 https://hdl.handle.net/10191/5111 2019年9月4日閲覧。