旧葛城館(きゅうかつらぎかん)は、和歌山県橋本市高野口町名倉1053にある旅館建築[1]。JR和歌山線高野口駅前にある。現存する木造3階建ての建築物としては古いものとされる[3]。旅館として営業していた頃の名称は葛城館(かつらぎかん)。
歴史
1901年(明治34年)には紀和鉄道名倉駅(現・JR和歌山線高野口駅)が開業し、1903年(明治36年)には高野口駅に改称した[4]。高野口駅は高野山参詣の拠点となり、駅前には十数軒の旅館が立ち並んだとされる[4]。葛城館が開業した時期や建物の建築時期は定かでないが、名倉駅開業後の明治時代後期と推定されている[4]。設計者は不詳。1925年(大正14年)には南海鉄道(現・南海電鉄)がより高野山に近い路線(現・南海高野線)を開業させ、高野口駅の参詣拠点としての地位は薄れていった[4]。
1993年(平成5年)から1994年(平成6年)頃までは宴会場として使用されていたが[5]、1994年(平成6年)に営業を終えて休業した[2]。2001年(平成13年)11月20日に国の登録有形文化財に登録された[1]。建物の老朽化が進行したことから、2012年度(平成24年度)には総工費約3100万円(うち国の補助金170万円)が投じられて保存修理が行われた[2]。2015年秋には芸術祭「WAKAYAMA SALONE 2015」(ワカヤマサローネ)の会場の一つとなった[3]。
建築
建物は明治時代後期建築の木造3階建てで、桁行5間半、梁間5間規模、東西棟、入母屋造、桟瓦葺[1]。正面及び東側面には銅板葺の庇を各階に廻し、屋根正面には瓦葺きの千鳥破風と銅板葺の唐破風を重ねる[1]。正面にはふんだんにガラスが使われている[3]。
高野山口駅が高野山への参詣拠点として栄えていた時代、1907年(明治40年)には235台、1913年(大正2年)には283台もの人力車が駅前に待機していたとされる[2]。1993年(平成5年)には高野口町が当時を模した人力車を製作し、葛城館の1階に常設展示した[2]。2012年(平成24年)に葛城館の保存修理が行われた際、人力車は橋本市産業文化会館「アザレア」に移されている[2]。
ギャラリー
玄関上り口
火鉢など
階段部分
2階にある江戸火消しの札[6]
2階和室
3階座敷
窓ガラス