華県地震(かけんじしん, 拼音: , フアシュエン・ディーヂェン)は、1556年1月23日に、明(中国)を襲った巨大地震である。嘉靖大地震(かせい-, 拼音: , チャーチン-)・嘉靖乙卯大地震(かせいきのとう-, 拼音: , チャーチンイーマオ-)・陝西地震(せんせい-, 拼音: , シャンシー)などともいう。記録上、世界中で最も多くの死者を出した、人類史上最悪の地震災害である[1]。
華県地震 | |
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■陝西省 ■その他の被害を受けた地域 | |
本震 | |
発生日 | 1556年1月23日(旧暦嘉靖34年12月12日) |
発生時刻 | 朝 |
震央 | 大明帝国 陝西省 華山付近 |
座標 | 北緯34度30分 東経109度42分 / 北緯34.5度 東経109.7度座標: 北緯34度30分 東経109度42分 / 北緯34.5度 東経109.7度 |
震源の深さ | ? km |
規模 | M8.0 |
津波 | なし |
地震の種類 | 内陸直下型地震 |
余震 | |
回数 | 1年以上続いた |
最大余震 | 不明 |
被害 | |
死傷者数 | 死者830,000人 |
被害総額 | 不明 |
被害地域 | 大明帝国 陝西省・甘粛省・山西省・河北省・山東省・河南省・湖北省・湖南省・安徽省・江蘇省 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
概要
1556年1月23日(旧暦嘉靖34年12月12日)の朝、明の北部にある陝西省(現在の中華人民共和国陝西省)で巨大地震が発生した。近年の調査によると震源は陝西省の華山(華県)付近で、規模(マグニチュード)はM8.0と推定されている。特に甚大な被害を受けたのは、震源に近い陝西省とその東に隣接する山西省であった[2]。渭河流域の境界線を成す断層により地震が発生したとみられ、地表地震断層(長さは70km・最大の地震時垂直変位は4m)が渭南-華山山麓に沿って形成されている[3]。
地震による被害
「明実録」という書物によると、この地震による死者は朝廷に報告されたものだけで83万人に達し(83万人は姓名が判っている死者の数であり地震後の飢饉や疾病などによる死者も含まれる)、陝西省および山西省での人口は合計で60%ほど減少したとみられ、実際にはそれをさらに上回る死者数を出したとされる[4][5]。この死者数は、世界で起きた地震の中で、記録上は史上最多である。しかも、人類史上世界で最多の犠牲者を出した自然災害でもあるとされる。
順位 | 震央 | 発生日 (UTC) | 死者・行方不明者数 (人) | 規模 (M) |
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1 | 中国, 華県 | 1556年1月23日 | 約 830,000 | 8.0 |
2 | ハイチ,ポルトープランス | 2010年1月12日 | 約 320,000 | 7.0 |
3 | アンティオキア | 115年12月13日 | 約 ≧ 260,000 | 7.5 |
4 | アンティオキア | 526年5月29日 | 約 ≧ 250,000 | 7.0 |
5 | 中国, 唐山 | 1976年7月28日 | 約 ≧ 240,000 | 7.8 |
6 | 中国, 海原 | 1920年12月16日 | 約 200,000 - 240,000 | 8.6 |
7 | インドネシア, アチェ州沖 | 2004年12月26日 | 約 230,000 | 9.1 |
(アゼルバイジャン, ギャンジャ) | 1139年9月30日 | 約 230,000 | - | |
9 | 中国, 洪洞 | 1303年9月25日 | 約 ≧ 200,000 | 7.6 |
10 | イラン, ダームガーン | 856年12月22日 | 約 200,000 | 7.9 |
11 | イラン, アルダビール | 893年3月23日 | 約 150,000 | - |
12 | (シリア, アレッポ) | 533年11月29日 | 約 130,000 | - |
シリア, アレッポ | 1138年10月11日 | 約 130,000 | 7.1 | |
14 | イタリア, メッシーナ | 1908年12月28日 | 82,000 - 120,000 | 7.1 |
15 | トルクメニスタン, アシガバード | 1948年10月6日 | 約 110,000 | 7.3 |
16 | 日本, 関東 | 1923年9月1日 | 105,385 | 7.9 |
17 | 中国, 直隷 | 1290年9月27日 | 約 100,000 | 6.8 |
この地震により、川の氾濫により大洪水が発生したり、大規模な火災・山崩れなどが発生したりした。当時この地域には石造りの家が多かったが、激震で倒壊した家屋の下敷きとなって多くの人々が死亡した[6]。
この地域は当時も今も窰洞(ヤオトン)と呼ばれる横穴式住居が多く、それらが地震に伴う液状化現象で一斉に崩壊して被害を大きくしたと考えられている[7]。震源から840kmもの広範囲にわたって破壊された。地震の発生場所が人口密集地であったことや、地震が発生した時間帯は多くの住民が就寝中であったことなどもあって、最悪の組み合わせとなり、犠牲者の増加につながった[7]。しかし華県地震以降、この地域の住宅の構造はそれまでより頑強になったという。
この地震について、とある歴史資料には次のような言及がある(原文)[8]。
(嘉靖)三十四年十二月壬寅,山西、陕西、河南同时地震,声如雷。渭南、华州、朝邑、三原、蒲州等处尤甚。或地裂泉涌,中有鱼物,或城郭房屋,陷入地中,或平地突成山阜,或一日数震,或累日震不止。河、渭大泛,华岳、终南山鸣,河清数日。
脚注
- ^ “中国・華県地震(1556年1月23日)”. 2020年11月20日閲覧。
- ^ “華県地震”. コトバンク. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “中国大陸における主な活構造帯の定量的研究、及び強震予知についての検討 | SciencePortal China”. spc.jst.go.jp. 2022年4月30日閲覧。
- ^ “被害地震”. www5d.biglobe.ne.jp. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “北京と地震”. www.asahi.com. 朝日新聞社. 2019年10月17日閲覧。
- ^ “Shaanxi province earthquake of 1556 | China” (英語). Encyclopedia Britannica. 2021年4月13日閲覧。
- ^ a b “中国の地震~華県大地震では世界最悪83万人死亡 (2008年5月15日)”. エキサイトニュース. 2019年10月17日閲覧。
- ^ 《大明国陕西西安府渭南县来化里来化镇庆安寺重修宝塔记》碑. 明嘉靖三十七年刻.
外部リンク
- 『(華県地震)』 - コトバンク