莫代宗(ばくだいそう、マク・カントン、ベトナム語:Mạc Cảnh Tông / 莫代宗)は、莫朝大越の第8代皇帝。名は莫 敬恭(マク・キン・クン、ベトナム語:Mạc Kính Cung / 莫敬恭)。
生涯
謙王(莫敬典)の七男[1]で、(閔宗)の弟にあたる。敦厚王に封じられていた。康佑元年(1593年)に兄帝が後黎朝軍に捕らえられると、岸郡公(莫玉輦)に擁立されて文蘭州で即位し[1][2]、海陽や(京北)に拠る勢力の支持を得た。翌乾統2年(1594年)に安博県に移ったが、後黎朝軍に敗れて(思明府)に奔り、明に称臣した。端国公阮潢率いる後黎朝水軍の攻勢などによって莫朝から寝返る将軍が後を絶たず、代宗は莫玉輦と共に明の竜州に逃亡した[2]。
乾統8年(1600年)に(英祖)の生母であった裴氏が昇龍で国母を称すると、これに迎えられた代宗は昇龍に入った[3]が、後黎朝の平安王鄭松に敗れて金城県に逃亡し、その後高平に撤退した。乾統29年(1621年)、従甥の莫敬寛に譲位して大慈県に移り、太上皇を称した。