生涯
宝永5年(1708年)、戸田忠時の次男で西福釜松平家を継いだ旗本・(松平隆欽)の子として江戸にて誕生。
始め、倉吉荒尾家の分家(荒尾重就)の養子として家督を相続し、荒尾式部修就と名乗る。享保11年(1726年)4月、本家荒尾秀就の嫡男・(豊就)が27歳で早世し、同年8月、秀就の養子として迎えられ、主計と改名する。同年9月、部屋住みのまま1500石を賜る。
享保13年(1728年)4月、養父・秀就の死去により家督と知行1万1000石を相続し、倉吉荒尾4代当主となる。相続の際、自分知1500石を召上げとなったことで、養家への不面目を理由にしばらく出仕をしなかった。同年11月、勝就の本家相続により、空席となっていた分家の家督を実弟・(仙就)が相続する。享保16年(1731年)、主計を志摩と改名する。
参考文献
- 『倉吉市史』
- 「因府年表巻5」