茂別館跡(もべつたてあと)は、北海道北斗市矢不来にある安東氏の館跡。茂別館は、道南十二館の1つである。1982年7月3日、国史跡に指定された。
概要
「新羅之記録」等によれば、茂別館は、嘉吉3年(1443)、津軽十三湊城主安東太郎盛季が南部氏に敗れて蝦夷島に渡った時、館を造ったのに始まり、享徳3年(1454)、安東政季が南部氏に追われて蝦夷島に渡り、康正2年(1456)、出羽国に去るまでここに居し、のち、その弟と考えられる下国安東八郎家政が箱館の河野政通に援けられて、この館を守護したという[1]。長禄元年(1457)5月、アイヌの蜂起軍のリーダーであったコシャマインが攻めてきて(コシャマインの戦い)、和人の諸豪が拠っていた志濃里館・箱館をはじめとする道南の諸館は相次いで攻め陥されたが、茂別館と上之国花沢館の2館だけが辛ろうじて残ったという。その後、下国(安東)氏は松前藩に属し、茂別の地付近を有して代々藩で重きをなした[1]。
茂別館は、(茂辺地川)左岸の丘地の南端に位置し、南の大館、北の小館とから成っている。西は茂辺地川岸の崖地で、南と北は自然の沢で限られ、大館の東は掘り切られて空濠となり、小館の東は沢となっている。大館と小館は自然の沢で画される。大館・小館とも北・東・南の三方に土塁をめぐらしており、また、各館内にも仕切状土塁が認められるが、大館のそれは後世の改変にかかるもののようである[1]。