概要 1927年(昭和2年)の竣工。設計は渋谷五郎(基本・構造設計)と本間乙彦(意匠設計)。施主の(芝川家)は江戸時代の唐物貿易商から明治時代に大地主となり不動産業に転じた一族で、4代目当主で芝川商店・千島土地代表などを務めた芝川又四郎は関東大震災から火事・地震に強い建物を建てることを決心。竜山石を用いたマヤ・インカ文明を思わせる装飾が施される。戦前まで、芝川家が興した芝蘭社家政学園という花嫁学校で、現在はテナントビルになっている[1]。
交通アクセス周辺情報関連項目 - ニッカウヰスキー - 前身の大日本果汁株式会社の設立総会会場であり大阪出張所が置かれた。芝川又四郎は設立時の出資者[2]。
- 竹鶴政孝 - ニッカウヰスキー創業者。大阪在住時代は芝川又四郎が家主であった。
出典 [脚注の使い方]
- ^ 橋爪紳也『大大阪モダン建築』(2007)
- ^ “あの”ニッカウイスキー、遂に試飲! – 芝川ビル
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