良岑 清風(よしみね の きよかぜ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は朝臣。桓武天皇の皇子である大納言・良岑安世の三男。官位は従四位下・(近江権守)。
経歴
仁明朝初頭の承和元年(834年)に内舎人に任ぜられ、承和5年(838年)に(下野掾)となる。内匠少允や(伊勢大掾)を経て、嘉祥2年(849年)に従五位下に叙爵する。
文徳朝に入っても、嘉祥4年(851年)(加賀介)と引き続き地方官を務め、仁寿4年(854年)には従五位上に叙せられている。天安元年(857年)に左馬助次いで左近衛少将と京官の武官に遷る。天安2年(858年)(美濃介)次いで(播磨権介)と地方官を兼ねるも、母の喪に服するため一旦官職を解かれ、その後再任されて本官に復している。同年11月に正五位下に昇叙。
清和朝の貞観2年(860年)従四位下に叙せられる。貞観5年(863年)2月に(近江権守)として地方官に転じたが、赴任後まもない同年4月15日に卒去。享年44。最終官位は従四位下行近江権守。
官歴
『六国史』による。
- 承和元年(834年)日付不詳:内舎人
- 承和5年(838年) 日付不詳:(下野掾)
- 承和8年(841年) 日付不詳:内匠少允
- 承和9年(842年) 日付不詳:(伊勢大掾)
- 時期不詳:正六位上
- 嘉祥2年(849年) 正月7日:従五位下
- 嘉祥4年(851年) 正月11日:(加賀介)
- 仁寿4年(854年) 正月7日:従五位上
- 斉衡4年(857年) 2月16日:左馬助。5月8日:左近衛少将。6月19日:兼(越中権介)
- 天安2年(858年) 正月16日:兼(美濃介)。2月5日:兼(播磨権介)。日付不詳:解職(母服喪)。11月7日:正五位下。
- 貞観2年(860年) 正月16日:兼播磨権介。11月16日:従四位下
- 貞観4年(862年) 正月13日:兼(美作守)
- 貞観5年(863年) 2月10日:(近江権守)。4月15日:(卒去)(従四位下行近江権守)