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生涯
第2代藩主・細川有孝の長男として生まれる。1703年(元禄16年9月6日)、有孝が病を理由に隠居し、その跡を継ぐ。この時の諱は有清であったが、後に興生と改めた。1717年(享保2年1月)、江戸町の火事の時に、一橋門の警護で功を挙げた。1735年(享保20年11月2日)、病を理由に隠居して家督を長男の興里に譲り、自らは梅山と号した。1737年(元文2年1月7日)、39歳で死去した。
系譜
父母
- 細川有孝(父)
- 妙持院 - 坂口氏、側室(母)
正室
- 戒光院 - 松平頼貞の娘
側室
- 了心院 - 児玉氏
- 竹間氏
子女
脚注
- ^ “よみがえる江戸の彩 日本最古の押花展”. 豊岡市立出土文化財管理センター. (2006年)