経歴
寛平8年(896年)文章生に補され、延喜元年(901年)式部少丞・平篤行を問者として方略試(対策)に応じ合格し、翌延喜2年(902年)民部少丞に任ぜられる。
民部大丞を経て、延喜6年(906年)従五位下・刑部少輔叙任される。醍醐朝において、刑部少輔・勘解由次官・大学頭を歴任し、皇太子・保明親王の東宮学士も兼ねた。またこの間、延喜12年(912年)に従五位上に叙せられている。延喜19年(919年)(卒去)。最終官位は大学頭従五位上。
勅撰歌人として、和歌作品が『古今和歌集』(1首)以後の勅撰和歌集に3首採録されている。なお、『古今和歌集』の真名序は淑望が執筆したものとされる。
官歴
『古今和歌集目録』による。
- 寛平8年(896年) 2月22日:文章生(花間理管弦、字○太)
- 時期不詳:秀才
- 昌泰3年(900年) 正月11日:(備前権掾)
- 延喜元年(901年) 8月16日:対策。 9月:及第
- 延喜2年(902年) 9月15日:民部少丞
- 延喜4年(904年) 日付不詳:民部大丞
- 延喜6年(906年) 正月7日:従五位下(省)。3月1日:刑部少輔
- 延喜7年(907年) 3月29日:勘解由次官
- 延喜9年(909年) 4月22日:大学頭
- 延喜10年(910年) 10月8日:兼東宮学士(皇太子:保明親王)
- 延喜12年(912年) 正月7日:従五位上(策労)
- 延喜13年(913年) 正月23日:兼(信濃権介)
- 延喜19年(919年) 日付不詳:(卒去)(大学頭従五位上)
系譜
- 父:紀長谷雄
- 母:不詳
- 妻:(池田維将)の娘
- 男子:(池田維実)
- 生母不明の子女
- 男子:(紀理綱)