紀元前48年(きげんぜん48ねん)は、ローマ暦の年である。
他の紀年法
できごと
ローマ
- 執政官:ガイウス・ユリウス・カエサルと(プブリウス・セルウィウス・イサウリクス)
- ローマ内戦
- 1月4日 - カエサルが(デュッラキウム)(ドゥラス)に到着した。
- 3月 - マルクス・アントニウスがカエサルの軍に加わった。
- 4月 - ドゥラスで攻城戦が行われた。
- 5月 - 執政官のプブリウス・セルウィウス・イサウリクスがカエサルの裁判官の座を破壊した。
- 7月10日 - デュッラキウムの戦いで、カエサルはマケドニア属州でグナエウス・ポンペイウスに大敗を喫し、テッサリアまで退却した。
- 8月9日 - ファルサルスの戦いで、カエサルはポンペイウスに大勝し、ポンペイウスはエジプトに退却した。
- 9月28日 - ポンペイウスはプトレマイオス13世に暗殺された。
- カエサルは5年間の執政官に任命された。
- ベローナに捧げられたローマ神殿が焼失した。
- アレクサンドリアの包囲
- 10月 - ポントス国王ファルナケス2世はニコポリスの戦いでグナエウス・ドミティウス・カルウィヌスを破った。
- 12月 - アレクサンドリアでカエサルとクレオパトラ7世対プトレマイオス13世とアルシノエ4世の戦いが行われた。プトレマイオス13世とアルシノエ4世は敗れて逃走したが、アレクサンドリア図書館の火災で死亡した。
アジア
誕生
「(Category:紀元前48年生)」も参照
死去
「(Category:紀元前48年没)」も参照
- 9月28日 - グナエウス・ポンペイウス[1]、共和政ローマの軍人・政治家(* 紀元前106年)
- (ティトゥス・アニウス・ミロ)
脚注
注釈
出典
- ^ Pompey the Great Roman statesman Encyclopædia Britannica