略歴
元和2年(1616年)、5000石の旗本・米津田政の長男として誕生した。寛永2年(1625年)、父の死により家督を相続。承応3年(1654年)、従五位下・出羽守に叙任され小姓組番頭となる。万治元年(1658年)書院番頭、寛文3年(1663年)大番頭を歴任。寛文6年(1666年)、大坂定番に任命され河内国内で1万石を加増されて1万5000石を領し大名に列した。
貞享元年(1684年)死去、享年69。跡を長男の政武が継いだ。
米津氏の菩提寺は武蔵国武蔵多摩郡前沢村[1]の米津寺。禅宗臨済派、京都妙心寺の末寺。開基は二代米津田守[2]。墓所は米津寺内の米津家大名墓所(東京都指定史跡)[3]。
系譜
脚注
出典
- 東久留米市史編さん委員会『東久留米市史』東久留米市(1979年)