米山 国蔵(よねやま くにぞう、1877年1月 - 1968年9月1日)は、日本の数学者[1]。九州帝国大学教授。理学博士 (京都帝国大学・1918年) 。「和田の湖」に関わった人物である。
人物
神奈川県生まれ。旧姓は真壁[2]。1903年、東京高等師範学校卒業。1908年、京都帝国大学理学部数学科卒業。五校数学教授を経て、1922年、九州帝国大学教授。論文「連続的集合論」で学位を受ける。1917年に、数学において、平面あるいは球面上において、同じ境界を持つ2つの領域を考えることは易しいことの例を発表。米山によれば、それは彼の師である和田健雄のアイデアであったことから、「和田の湖」と名付けられた[3]。著書に、「数学の基礎」(全3巻) や「実変数函教論」など。