来歴 中井芳滝の門人でその弟[1]。俗名は嘉造。川崎巨泉によれば芳滝は明治7、8年の頃、祖先の姓である笹木氏を名乗ることがあったが、その後笹木の名を弟の嘉造に譲ったという。作画期は明治6年(1873年)から明治13年(1880年)の頃にかけてとされ、中判の役者絵などを残している。享年42。
作品 - 「竹川、お六、おみつ、母貞昌、雷・市川右団治 猿廻し・片岡我童」 中判錦絵2枚続 ※明治6年9月、大阪角の芝居『お染久松所作姿』より
- 「喜右衛門・実川八百蔵 佐倉宗五郎・市川右団治」 中判錦絵2枚続 ボストン美術館所蔵 ※明治6年11月、角の芝居『東山桜荘子』より
- 「飛騨之守・嵐璃寛 河合又五郎・中村雀右衛門 荒木又右衛門・実川延若」 中判錦絵3枚続 池田文庫所蔵 ※明治13年3月、大阪戎座芝居『柳生流伊賀水月』より
- 「八阪神社神輿洗ねり物錦画」 早稲田大学図書館蔵 ※明治13年。祇園祭でかつて行われていた、夜の祇園を芸者たちが仮装して練り歩く「祇園ねりもの」の番附[2]。
脚注 - ^ 『原色浮世絵大百科事典』第2巻は歌川芳梅の門人とするが、芳滝の門人だった川崎巨泉の「中井芳瀧先生略伝」には、「先生の在阪中、門人として教えを受けた人も数十人あつたが」という中に嘉造(芳光)の名がある。
- ^ 八反裕太郎 『描かれた祇園祭ー山鉾巡業・ねりもの研究』 思文閣出版、2018年1月24日、pp.798-799、(ISBN 978-4-7842-1906-3)。
参考文献 - 川崎巨泉 「中井芳瀧先生略伝」 『浮世絵志』第卅一号 浮世絵志会、1931年
- 川崎巨泉 「中井芳瀧の片影」 『郷土研究 上方』(第11巻) 新和出版社、1969年 ※壱百参拾八号所収。復刻版、原著は昭和17年(1942年)6月刊行
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
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