沿革
1944年(昭和19年)7月3日に武漢防衛軍を改編した軍である。編成後、同年8月26日に第6方面軍の戦闘序列に編入され、一貫して武漢要域の警備と防衛を担当した。
1945年(昭和20年)3月当時の老河口作戦では、一部兵力を湖北省方面から出撃させて、中国軍の牽制作戦を担当した。その後、同年6月18日に関東軍の戦闘序列に編入され、咸興へ移駐した。この転用に伴い、編成以来から使った「呂武」という通称号を「展」と変更した。以後、咸鏡南道一帯で対ソ防衛体制の整備を行っていた。同年8月9日にソ連軍が侵攻を開始(ソ連対日参戦)したが、軍主力は交戦することなく終戦を迎えた。
軍概要
歴代司令官
歴代参謀長
- (鏑木正隆) 少将:1944年7月7日 -
- (川目太郎) 少将:1945年6月15日 -
最終司令部構成
- 司令官:櫛淵鍹一中将
- 参謀長:川目太郎少将
- 高級参謀:扇広大佐
- 高級副官:谷口貞一中佐
- 兵器部長:金子時之助大佐
- 経理部長:新居邦八主計大佐
- 軍医部長:樋口四郎軍医大佐
- 獣医部長:阿部正一獣医中佐
- 法務部長:身保正男法務少佐
最終所属部隊
参考文献
- 『戦史叢書4 一号作戦(1) 河南の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1967年
- 『戦史叢書16 一号作戦(2) 湖南の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1968年
- 『戦史叢書30 一号作戦(3) 広西の会戦』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1969年
- 『戦史叢書55 昭和十七・八年の支那派遣軍』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1972年
- 『戦史叢書73 関東軍(2) 関特演・終戦時の対ソ戦』防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1974年
- 『戦史叢書99 陸軍軍戦備』 防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1979年