第126独立親衛沿岸防衛旅団(だい126どくりつしんえいえんがんぼうえいりょだん、ロシア語: 126-я отдельная гвардейская бригада береговой обороны)は、ロシア海軍の旅団のひとつ。第22軍団隷下。
概要
第二次世界大戦
1939年8月14日、第二次世界大戦の影響に伴い、赤軍(後のソ連地上軍)第11軍隷下の第1モスクワ狙撃師団として、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された[2]。
1940年6月、軍の師団番号が統一され、第126狙撃師団に改称した。
1940年6月、バルト諸国占領に投入され、ラトビア、リトアニアを占領した。
1941年6月から、独ソ戦に投入され、団員が1万1,697人から1,000人以下となる大損害を出して、12月に部隊は壊滅した。
1942年1月、ヴォロシーロフ狙撃師団を基幹に、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国で再編された。
1942年7月、独ソ戦に投入され、枢軸国に勝利し、赤旗勲章2回、スヴォーロフ勲章を授与された。
1945年12月、クリミア州(現クリミア共和国)に移駐し、第28機械化師団に改編した[3]。
冷戦
1957年5月、部隊の機械化に伴い、第101自動車化狙撃師団に改編した[3]。
1964年11月、師団番号が返還され、第126自動車化狙撃師団に改称した[3]。
ソ連海軍/ロシア海軍
1989年12月1日、ソ連海軍に編入し、黒海艦隊隷下に配属され、第126沿岸防衛師団に改編した[3]。
1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊とロシアの独立に伴い、創設されたロシア海軍に編入し、1996年2月に黒海艦隊の分割騒動で解隊された[3]。
再編成
2014年12月1日、ロシアのクリミア侵攻の影響に伴い、ウクライナ海軍第36独立沿岸防衛旅団を基幹に、第126独立沿岸防衛旅団として、クリミア共和国シンフェロポリで再編された[4]。
ロシアのウクライナ侵攻
ウクライナ南部攻勢
2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、クリミア半島から進軍して、隣接する南部ヘルソン州を制圧、さらに隣接する南部ムィコラーイウ州に進軍するも、ボズネセンスクの戦いで大損害を出して、ヘルソン州まで撤退した[1]。
2022年3月28日、ウラジーミル・プーチン大統領から、「親衛隊」の名誉称号を授与された[2]。
2022年4月中旬、部隊が団員の半数以上の大損害を出したとイギリス国防省が発表した[5]。
2022年10月、南部ヘルソン州ヘルソン地区に配備されていたが、人員不足で一部の陣地では村に兵士が15人しか配備されていないこともあり、脆弱性に勘づいたウクライナ軍に防衛線を突破され、11月にヘルソンから撤退し、部隊が壊滅した可能性があると指摘された[1][6]。
2023年5月、南部ヘルソン州の前線に配置されている[7]。
編制
ギャラリー
脚注
- ^ a b c In 2014, Ukrainian Defectors Formed A New Russian Brigade. In 2022, The Ukrainian Army May Have Destroyed It. フォーブス
- ^ a b Путин присвоил звание гвардейских бригаде морской пехоты и бригаде береговой обороны タス通信
- ^ a b c d e 第126自動車化狙撃師団 The Luftwaffe, 1933-45
- ^ ハリネズミのように要塞化されるクリミア半島 Yahoo!ニュース
- ^ Актуальна карта бойових дій в Україні та небезпечні напрямки на 15 квітня ビクナテレビ
- ^ 動画:火囲み歌い踊るヘルソン市民 ウクライナ軍が公開 フランス通信社
- ^ Russian Offensive Campaign Assessment, May 9, 2023 戦争研究所
外部リンク
- 第126師団公式サイト
- ロシア海軍歩兵公式サイト