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第一次編成
1937年(昭和12年)日中戦争が勃発すると、日本本土から次々と師団が中国大陸に派遣され、同時に従来の常設師団から新たに特設師団が編成された。第108師団は、1937年8月24日、(留守第8師団)の担当で新設された。第1軍(司令官:香月清司中将)隷下となり、同年10月、華北における作戦に参加。閻錫山軍の拠点であった臨汾を占領した。その後、山西省での治安作戦を担当し、1940年(昭和15年)1月、日本に帰還。同年2月に廃止された。
師団概要
歴代師団長
参謀長
- 鈴木敏行 砲兵大佐:1937年(昭和12年)9月7日[3] - 1938年5月19日
- (石原章三)[注 1] 輜重兵大佐:1938年(昭和13年)5月19日 - 1938年11月18日[4]
- 矢崎勘十 歩兵大佐:1938年(昭和13年)11月18日[5] - 1940年(昭和15年)2月21日
最終所属部隊
第二次編成
1944年(昭和19年)7月、満洲の第9独立守備隊を基幹に再編成され、関東防衛軍の隷下に入り、満洲と中国の境界線付近の警備等を担当した。1945年(昭和20年)7月、第3方面軍の直轄となり、翌月、ソ連軍の侵攻に備えたが、本格的な戦闘となる前に終戦を迎えた。
師団概要
歴代師団長
参謀長
- 小堀晃 中佐:1944年(昭和19年)7月14日 - 終戦[7]
最終司令部構成
- 参謀長:小堀晃大佐
- 参謀:酒井治隆中佐
- 高級副官:河野桂十郎少佐
最終所属部隊
脚注
注釈
- ^ 『帝国陸軍編制総覧』476頁、『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』315頁によれば高野直満(24期)が参謀長に就任しているが、「陣中日誌 昭和13年6月分 第108師団第4野戦病院」 アジア歴史資料センター Ref.C11111523700 には、鈴木敏行の後任参謀長に石原章三が就任したことが明記されており、高野直満の就任はなかったものと思われる。ただし就任日については検討が必要。