概要
戦時下の石炭輸送力増強のため設けられ、戦後も石炭増産体制を支えたが、複線化により役割を終えた。その後引き続き保線事務所の線路班が置かれて仮乗降場として使用されたが、自然消滅的に廃止となった[1]。
構造
行違い2線式。
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名前の由来
滝が流れ落ちている入江、という意味のアイヌ語のソ=ラプ=チ=プトから。空知川が石狩川に合流する河口を指している。
歴史
隣の駅
脚注
外部リンク
- USA-R139-107 1952年(昭和27年) - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)。重連運転の上り貨物列車が空知川橋梁を渡河中で、下り貨物列車が当信号場で待避している。空知川橋梁は複線化の工事中。信号場建屋は構内中央の滝川に向かって右手(北東側)に見える。
関連項目
- 空知太駅 明治時代にほぼ同一地点にあった北海道炭礦鉄道の駅。