生涯 (稲葉通貞)の長男、父が高齢のため家督を継いだ[1]。主君の土岐頼芸が石津郡牧田に駐屯していた浅井亮政を駆逐するために兵を出すと、それに従って牧田河原に出陣した。頼芸が浅井軍の急襲を受けて窮地に陥ると、その救援に赴いて頼芸を逃したが、長男の(通勝)をはじめとする息子たちや家臣数十人とともに討ち死にした[1]。
唯一生き残った末子の良通によって菩提寺の守徳寺を建立されて葬られた[1]。
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