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秦楽寺

秦楽寺(じんらくじ)は、奈良県磯城郡田原本町(秦庄)(はたのしょう)[1]にある真言律宗の寺。号は高日山浄土院。

秦楽寺
所在地 奈良県磯城郡田原本町秦庄267
位置 北緯34度32分37.4秒 東経135度47分31.6秒 / 北緯34.543722度 東経135.792111度 / 34.543722; 135.792111座標: 北緯34度32分37.4秒 東経135度47分31.6秒 / 北緯34.543722度 東経135.792111度 / 34.543722; 135.792111
山号 (高日山)
院号 (淨土院)(浄土院
宗派 真言律宗
本尊 千手観音
中興年 宝暦9年(1759年
正式名 高日山浄土院秦楽寺
高日山淨土院秦樂寺
札所等 大和北部八十八ヶ所霊場 第84番
法人番号 7150005005262
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概要

門は珍しい中国風の白色が美しい土蔵門である。本尊は平安時代作の千手観音。本尊の向かって右に聖徳太子像、左に秦河勝像を安置する。秦河勝像の台座には明暦元年(1655年9月14日多武峯住 藤室法印良盛の銘がある。

寺伝では、大化3年(647年)、百済王から贈られ、聖徳太子から秦河勝に下賜された観音を当地に安置したことにはじまるという。聖徳太子が、斑鳩から都に通った道であると伝えられる筋違道(太子道)は、寺の少し北を通過し、近い。

大同2年(807年)、から帰国した空海が、境内に梵字の「阿」の形の池を作ったとされている。この阿字池は、7~8月に咲くの花で有名。また、空海はこの寺で「三教指帰(さんごうしいき)」を書いたとの伝えがある。さらに、空海が、執筆中、阿字池のが騒がしく鳴き、静かにするように叱ったので、それ以来騒がしく鳴かない、という伝説がある。

元亀元年(1570年松永久秀十市郡に進出、寺は一旦灰燼に帰し、宝暦9年(1759年)僧、恵海が再興した。

方広寺京の大仏再建に尽力した僧 恵美が、勧進のため描いた、現在とは違う姿の大仏画が昭和54年(1979年)発見されている。

秦氏の居住地

古来より、付近は秦氏の居住地で、雅楽の楽人や猿楽にも関係する人たちが居た。門前にある寺の説明板には、「秦楽とは、秦の楽人である」とある。

また、江戸初期の狂言役者・(大蔵虎明)による伝書『(わらんべ草)』など[2]には、寺の前に、猿楽役者の金春大夫の屋敷があったと記されている(金春家は秦氏を名乗っている)。

大和高田市にも、漢字は違うが、神楽(じんらく)という所が有る。古くは秦楽とも書いた様であり、関係が注目される。

また、現存していないが、付近(杜屋、村屋?: 東北方向の伊与戸村のことか)に(新楽寺)(しんらくじ)という寺がかってあり、関係が注目される。

笠縫邑候補地

境内の南東には、春日神社と(笠縫神社)が並んであり、特に笠縫神社は笠縫邑の候補地の一つとされている。神仏分離令以前に見られた様な神社の中の神宮寺ではなく、寺の中に神社がある。

交通

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 十市郡秦庄(秦楽寺村)および九品寺村、(秦庄村)大字秦楽寺村、多村大字秦庄秦楽寺
  2. ^ 他に『謡要極秘伝抄』『申楽聞書』など室町時代後期以降に成立した能楽伝書に書かれた説である。現地の案内板には、世阿弥の『風姿花伝』(または『花伝書』)とされているが、能勢朝次旧蔵の「下間少進の伝書を写し伝えたという奥書ある風姿花伝書」にある程度であり、世阿弥の記述ではなかろう。

関連項目

  • 笠縫駅
  • (浄土寺) – 秦庄(秦楽寺村)浄土寺[1]
  • (三笠 (田原本町))
  • (薬王寺 (田原本町)) – 十市郡(薬王寺村)、平野村薬王寺

外部リンク

  • 田原本町 秦楽寺
  1. ^ yaokami
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