秋月 種殷(あきづき たねとみ)は、幕末期の大名。日向国高鍋藩第10代(最後)の藩主。第9代藩主・秋月種任の長男(次男の説もある[1])。
略伝
天保14年(1843年)8月21日、種任から家督を譲られて当主となる。治世は30年に及び、教育の振興に尽力した。
文久元年11月1日(1861年12月2日)に弟の種事を高鍋藩家老上席とする[2]。また、文久3年6月26日(1863年)に弟の種樹を嗣子とした。
明治2年(1869年)の版籍奉還後は高鍋藩知事となり、明治4年(1871年)に廃藩置県が行われて高鍋藩は終焉を迎え、美々津県に合併される。男子がなかったため、弟で養嗣子の種樹が家督を継いだ。明治7年(1874年)、58歳で没した。
系譜
父母
正室、継室
子女
- 𨫍子 ー 黒田長徳室
養子
- 秋月種樹 ー 実弟
脚注
参考文献
- 「高鍋町史」(高鍋町史編纂委員会、高鍋町、昭和62年(1987年))