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福間 信治(ふくま のぶはる)は、戦国時代の武将。尼子氏、毛利氏家臣。父は(福間政貞)。子に福間堯明、福間元明、(西願)。苗字は福万とも表記される。
生涯
明応2年(1493年)、尼子氏に属して備後(旗返城)主となった(福間政貞)の子として生まれる。文亀3年(1503年)に父が死去したため、母に従って因幡国に居住した。
永正年間に備後国へ移り住んだ後に出雲国へ赴き、尼子経久、晴久に仕える。
天文9年(1540年)から天文10年(1541年)にかけての吉田郡山城の戦いでは、尼子晴久に従軍したが負傷。その後に尼子氏を辞して備後国へ帰り、三次村の(照林坊)に居住した。
天文17年(1548年)、毛利元就に召し出されて安芸国高田郡吉田へ赴き、以後は毛利氏に仕える。
長男の堯明を後継ぎとしていたが、天文23年(1554年)の安芸(黒瀬衆)討伐の際に戦死したことから、次男の元明を後継ぎとした。堯明の戦死について、元就はその忠を賞し、井上就重に命じて信治に褒美を与えている。