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生涯
寛永15年(1638年)、毛利家家老福原隠岐守元俊の子として生まれる。寛永19年(1642年)、幕府の証人(人質)として江戸に下向する。承応2年(1653年)、父・元俊が死去し、翌承応3年(1654年)に家督を相続する。藩主毛利綱広の偏諱(「広」の字)を賜り、広次(ひろつぐ)を名乗る。のち、元俊の1字を取って広俊に改名し、福原広俊を名乗った4番目の人物となる。
寛文元年(1662年)、大頭役を受ける。寛文10年(1670年)、元俊の菩提寺として宗隣寺を再建する。延宝2年(1674年)、江戸当役を受ける。元禄5年(1692年)、当職(国家老・執政)を受ける。
元禄8年(1695年)、病のため当職を辞職し、同年4月5日卒。享年58。
参考文献
- 「宇部市史」
- 「福原家譜」(東京大学史料編纂所)