禅蔵尼(ぜんぞうに、生没年不詳)は6世紀後半の豪族(漢人夜菩)の娘。善信尼、恵善尼とともに日本最初の尼僧のひとりに挙げられる。俗名は豊女(とよめ)、等已売(といめ)。
概要
『日本書紀』によれば、584年、司馬達等の娘の11歳の嶋(善信尼)が出家したのと同じくして、その弟子として(錦織壺)の娘の石女(恵善尼)とともに蘇我馬子が高句麗の僧(恵便)のもとへ出家させた日本最初の尼僧である[1][2]。585年には疫病の流行により廃仏毀釈を唱える物部守屋に捕えられ、(海石榴市)(現在の奈良県桜井市にて開かれた市場)の馬屋にて衆人の前で法衣を奪われ、鞭打ちの刑に処された((堀江棄仏事件))[3]。587年、丁未の乱によって物部氏の影響から解放された禅蔵尼は、588年に学問僧として百済に渡って戒律を学び、590年に帰国後は大和国の桜井寺で過ごし、(善徳尼)など11人の尼の出家に寄与し、仏法の興隆に貢献した[1][4]。
脚注
外部リンク
- コトバンク:デジタル版 日本人名大辞典+Plus 禅蔵尼とは