礼部(れいぶ、満洲語:dorolon i jurgan)は、六部の一で、礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙などを司掌した。
祖型は漢代にまで遡り、歴代王朝を通じて整備が進み、一時は祠部と改称された。唐代には、長官に(尚書)(礼部尚書)、次官に侍郎(礼部侍郎)が置かれ、礼部に属する(礼部司)(礼楽・儀式・衣冠など)・(祠部(しぶ)司)(祠祀・国忌・廟・諱・天文・医薬・宗教)・(膳部(ぜんぶ)司)(飯膳・食糧)・(主客(しゅかく)司)(外交)の4司それぞれに判官である(郎中(ろうじゅう))と(員外郎(いんがいろう))が設置された[1]。科挙の学術試験は礼部侍郎が司掌するが、その合格者は更に吏部で身言書判が試験(吏部試)されて官吏に登用される定めであった。
宋代には代官を充てていたが、元豊年間(基督教暦11世紀後葉)の改革で復旧し、明、清代を通じて存在した。清宣統3年(同1911年)の内閣官制実施で廃止された。
脚注
- ^ 『旧唐書』職官志2、『新唐書』百官志1。