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磯野誠一

磯野 誠一(いその せいいち、1910年 - 2004年)は、日本の民法学者。

生涯

1910年東京に生まれる。旧制武蔵高校を経て東京帝国大学に進み、ドイツ法を専攻[1]1939年の大学卒業後ただちに、地租改正資料整備会委員になる[1]。同年10月から、国際文化振興会で、『英文日本百科事典』の編集に携わる[1]1941年に社会事業研究所に入所し、1943年から日本敗戦まで、北京近郊河北口の西北研究所員として、モンゴルで調査研究をした[1]。敗戦のためウランバートルで抑留生活を送る[1]1954年6月16日東京教育大学文学部助教授から教授に昇進[1]。1954年当時、『思想の科学』理事、「生活を綴る会」の主メンバー、日教組講師団の1人だった[1]。また雑誌『世界』にもよく寄稿していた[1]

東京教育大学の筑波移転問題では、文学部教授会で、強硬移転反対派に属した。このため筑波大学には移らず、1975年神奈川大学教授に転じた。

人柄

大学ではスキー部のリーダーをやり、柳島セツルメントでは、児童学校・法律相談を担当した[1]

家族・親族

父は磯野定次郎(台湾銀行常務)、母は松室致の長女 松室千代。安藤良雄は実弟。

海軍少将穂積律之助の娘・富士子と結婚。妻は穂積陳重穂積歌子の孫、渋沢栄一の曾孫、穂積重遠穂積真六郎の姪、渋沢敬三の従姪。

ともに西北研究所の所員になり、モンゴルでの調査研究にあたる[2]。その研究成果を『家族制度』(岩波新書)として、1958年に発刊した[2]

著書

  • 磯野富士子との共著『家族制度』岩波新書、1958年
  • 共著『嵐の中の百年』
  • 共著『日本近代法発達史講座』
  • 共著『家族制度の研究 上』

参考文献

  • 磯野誠一・富士子『家族制度』岩波新書、1958年
  • 教育大学新聞1954年6月25日号3面コラム「よこがお」(『文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版-1946~1972』253頁所収)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 教育大学新聞1954年6月25日号3面コラム「よこがお」
  2. ^ a b 『家族制度』奥付
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