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磐城団

磐城団(いわきだん)は、9世紀から10世紀の日本で陸奥国に置かれた軍団の一つで、当時の磐城郡、現在のいわき市にあったと推定される。

歴史

古代日本の軍団制は大宝元年(701年)の大宝令までに実施されたと推定される。陸奥国では8世紀に蝦夷との戦争が激化しており、複数の軍団が存在したはずだが、軍団の名はわずかしか伝わっていないので、磐城団が置かれたかは不明である。

2軍団になった弘仁2年(811年)に磐城団はなく、弘仁6年(815年)8月の6団体制[1]でも置かれなかった。確実に存在するのは承和15年(847年)で、前の6団に磐城団が見えないこと、この後陸奥国は7団体制で続いたことから、815年と847年の間に磐城団が新設されたと推定される。推定設置年をもう少し狭めようとする説が様々にある。

史料中、磐城団への唯一の言及は、『続日本後紀』承和15年(847年)5月13日の記事で、この日に磐城団の()少毅陸奥丈部臣継島と擬主帳伊具郡麻続郷の戸主陸奥臣善福が、(阿倍陸奥臣)のを与えられた[2]

磐城団の兵士は、白河団行方団安積団の兵士とともに、交代で多賀城国府に上って守備にあたった[3]

10世紀に編まれた延喜式にも陸奥国に7団を置くことが規定されており、その中に磐城団があったと推測される。廃止時期は不明だが、この頃既に軍団は形骸化していた。

脚注

  1. ^ 類聚三代格』巻第十八。黒板勝美・編『類聚三代格(後編)・弘仁格抄』551-552頁。
  2. ^ 『続日本後紀』承和15年(847年)5月辛未(13日)条。
  3. ^ 元慶年間(877年から884年)の太政官符に、鎮守府の守備にあたる軍毅が15人、国府守備にあたる軍毅が20人とある。前者を北部の3軍団、後者を磐城団を加えた南部の4軍団と按分すれば、5人ずつで割り切れる。平川南『漆紙文書の研究』282頁。

参考文献

  • 橋本裕「律令軍団一覧」、『律令軍団制の研究』(増補版)、吉川弘文館、1990年(初版は1982年発行)、(ISBN 4-642-02244-9) に所収。論文初出は『続日本紀研究』199号、1978年10月。
  • 平川南『漆紙文書の研究』、吉川弘文館、1989年、(ISBN 4-642-02232-5)。
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