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石馬寺

石馬寺(いしばじ)は、滋賀県東近江市(五個荘石馬寺町)[1]にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は御都繖山(ぎょとさんざん)。本尊は十一面千手観世音菩薩(秘仏)。

石馬寺

石馬寺本堂
所在地 滋賀県東近江市(五個荘石馬寺町)823
位置 北緯35度9分42秒 東経136度9分52秒 / 北緯35.16167度 東経136.16444度 / 35.16167; 136.16444座標: 北緯35度9分42秒 東経136度9分52秒 / 北緯35.16167度 東経136.16444度 / 35.16167; 136.16444
山号 御都(繖山)
宗派 臨済宗妙心寺
本尊 十一面千手観世音菩薩
創建年 不詳
開基 (伝)聖徳太子
中興 雲居希膺
正式名 御都繖山石馬禪寺
札所等 聖徳太子霊跡第36番
びわ湖百八霊場第69番
(湖国十一面観音菩薩霊場)第9番
文化財 木造十一面観音菩薩立像2躯ほか(国の重要文化財)
公式サイト 石馬寺ホームページ
法人番号 5160005006022
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歴史

伝承によれば、今からおよそ1400年前に霊地を探していた聖徳太子が当地を訪れ、繖山(きぬがさやま)の山麓のの木に馬をつなぎ山上に登った。山の霊異に深く感動して戻ってくると、馬は石と化して池に沈んでいた。これを瑞相と捉えた太子は、山を御都繖山と名付け、この地に寺院を建立し、石馬寺と号したという。聖徳太子筆と伝承する「石馬寺」の木額や太子馬上像等を所蔵する。登山口付近には、石馬が背中を見せている蓮池がある。

永禄11年(1568年)、織田信長と佐々木六角氏との争乱による兵火を受け、伽藍や院坊等が焼失する(永禄6年の観音寺騒動によって、一部焼失の可能性もある)。その後、『近江神崎郡志稿』下巻、寺院由緒記によると、信長の庇護を受け復興を果たして寺領を拡大したものの、天正年間には、秀吉の検地政策により寺領及び山林を没収され、山主や僧徒は退散を命じられた。慶長8年(1603年徳川家康により、門前に高札が建てられ、復興を果たす。寛永11年(1634年)、徳川家光上洛にあたり、旧神崎郡伊庭村に造営された御茶屋御殿の(伊庭御殿)を移して大方丈とした(旧本堂)。正保元年(1644年)11月、奥州松島雲居希膺(うんごきよう)を中興祖として招き、臨済宗妙心寺派の寺院となる。

行事

文化財

重要文化財(国指定)

  • 木造十一面観音像 2躯
  • 木造二天王立像 2躯
  • 木造二天王立像 2躯
  • 木造大威徳明王像
  • 木造阿弥陀如来坐像
  • 木造役行者・二鬼像 3躯

その他

  • 十一面千手観世音菩薩立像(秘仏、2022年、東近江市指定文化財登録)
  • 聖徳太子馬上像(伝 聖徳太子作)
  • 聖徳太子合掌像(伝 聖徳太子作)
  • 大日如来座像
  • 飯盛釈迦如来像(高麗仏画)(図版は、『五個荘町史』第一巻ほかに掲載。また、観峰館冬季企画展「近江仏画めぐり」(作品№1)に出品)

境内

外部リンク

  • 石馬寺 公式ウェブサイト

参考文献

  • 『近江神崎郡志稿』下巻、寺院由緒記
  • 「石馬寺文書目録」滋賀大学経済学部附属史料館研究紀要, 第24号, pp. 97-136

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 神崎郡石馬寺村、南五個荘村石馬寺、五個荘町石馬寺
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