経歴
桓武朝の延暦16年(797年)従五位下に叙爵し、(但馬介)に任ぜられる。延暦20年(801年)遣唐副使に任ぜられる(遣唐大使は藤原葛野麻呂)。延暦22年(803年)3月に遣唐使節に対する餞別の宴が行われ、道益は御衣一襲と金150両を与えられる。4月に葛野麻呂と共に節刀を授けられて難波津より出航するが、まもなく暴風雨を受けて遣唐使船が破損して航海が不可能となる[1]。翌延暦23年(804年)7月に最澄らと共に第二船に乗船して唐に渡り、無事に明州に到着する。しかし、病に伏し、延暦24年(805年)長安へ出発できないまま明州で没した[2]。享年43。同年7月に大使・葛野麻呂以下遣唐使節一行が帰国して功労の叙位が行われた際、道益は従四位下を贈られた。
人物
経歴
『六国史』による。