真壁 義幹(まかべ よしもと、天文21年5月18日(1552年6月10日) - 寛永7年6月21日(1630年7月30日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の佐竹氏家臣。真壁久幹の次男で氏幹の弟。子に真壁房幹・(重幹)がいる。
父が佐竹義昭に臣従した際、義昭のもとで元服を行い、一字が与えられた[1]。小田氏治との(手這坂の戦い)で活躍して、式部大輔の名乗りを許される。後に常陸国筑波郡に所領を与えられて兄から別家する。長男・房幹が兄の養子となっていたために、次男の重幹に家督を譲るが後に氏幹・房幹ともに死去したために重幹が真壁氏の当主となった。佐竹氏の移封先である出羽国角館にて没する。
脚注
参考文献
- 茨城県史編集委員会 監修『茨城県史』茨城県〈中世編〉、1986年3月20日。(NDLJP):9643628。(要登録)
外部リンク
- 『(真壁義幹)』 - コトバンク