相馬 師常(そうま もろつね)は、鎌倉時代の武将。千葉氏の庶流。相馬氏初代当主。千葉常胤の子。子には相馬義胤、矢木常家、戸張行常。初名は師胤[1]と考えられている[2]。
経歴
父と共に源頼朝の挙兵に参加し、頼朝の弟・源範頼の軍勢に従って各地を転戦した。文治5年(1189年)9月には奥州合戦に参加し、その功により頼朝から「八幡大菩薩」の旗を賜ったという。
建仁元年(1201年)、父・常胤が亡くなったために出家し、家督を嫡男の相馬義胤に譲る。出家後は法然の弟子になったと言われている。
元久2年(1205年)11月、鎌倉相馬邸の屋敷で端座し、念仏を唱えながら臨終したという。その信心厚い性格から信望の厚かった師常の最期は、鎌倉の民衆たちから見取られたと言われている。
『源平闘諍録』では、頼朝の最初の妻で父伊東祐親によって離縁させられた三女(八重姫)と、後に頼朝の計らいで結ばれたとする。
また伝承によると、師常は平将門の子孫である(信田師国)((胤国)の子)の養子となり、その遺領を相続したと伝わる[3]。千葉氏の遠祖・平忠常の母である春姫 (如春尼)が将門の次女で、師常は信田家の祖先・将門の傍流子孫に当たる為、師常と信田氏は同族という事になる。
系譜
石碑
墓