概要
奈良県西部、葛下川西方の丘陵上に築造された古墳である。1997年(平成9年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径15メートル・高さ約4メートルを測る[1]。墳丘周囲には外護列石が巡らされる。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方に開口する[1]。玄室内には木棺が据えられ、少なくとも2体が埋葬されたとみられるとともに、副葬品として金環・金銅製刀装具などが検出されている[1]。
この畠田古墳は、古墳時代終末期の7世紀初頭頃の築造と推定される[1]。王寺町では古墳が少なくいずれも7世紀代の築造と推定されるが、本古墳はその中で最大規模かつ単独墳であり、当地域の開発を物語るとして注目される古墳である[1]。また墳丘の形態および副葬品の様相から、被葬者に渡来系の性格を指摘する説がある[2]。
埋葬施設
埋葬施設としては、両袖式の横穴式石室が構築されており、南方に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:5.9メートル
- 玄室:長さ3.2メートル、幅2.0メートル、高さ2.3メートル
- 羨道
石室の石材には自然石が使用されるが、面は揃えて積み上げられている[1]。
玄室内には木棺が据えられ、2体以上が埋葬されたとみられる[1]。副葬品としては金環・金銅製刀装具・ガラス玉・鉄鏃・須恵器・土師器などが検出されている[1]。
羨道(開口部方向)
羨道(玄室方向)
墳丘・石室開口部
文化財
奈良県指定文化財
- 史跡
- 畠田古墳 - 2007年(平成19年)3月30日指定[3]。
脚注
参考文献
(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
関連文献
(記事執筆に使用していない関連文献)
- 奈良県立橿原考古学研究所編 編『畠田古墳(王寺町文化財調査報告書 第1集)』王寺町、1998年。
外部リンク
- 古代の王寺 > 畠田古墳 - 王寺町ホームページ