概要
在家塚地区から飯野地区に入ってすぐの場所にあった駅で、相対式2面2線の交換可能駅であったが、交換設備は末期の頃には使用停止となっていた。この駅の構内からいきなり線路が南に進路を変えていたため、ホームにはかなりきついカーブがかかっていた。線内で一番標高が高い場所に位置していた駅である。
駅名は当初国名がつかず単に「飯野」であったが、国鉄との連帯運輸が始まったことを受けて1950年(昭和25年)に国名を冠した。
歴史
隣の駅
廃線後の状況
専用軌道の跡地である「廃軌道」上に跡が存在する。駅の直前、「在家塚」交差点で4車線の道路が終わり、また前のように2車線の道に戻ってカーブの真ん中あたりにある建物に挟まれた空き地が駅の跡である。
参考文献
- 花上嘉成『山梨交通鉄道線回想録』(「RM LIBRARY」5号、ネコ・パブリッシング刊、1999年)
- 「写真で見るふるさと白根」編集委員会編『夢 21世紀への伝言 —ふるさと白根100年の回想—』(白根町刊、2001年)
- 運輸省編『山梨軌道』(運輸省公文書)
関連項目
座標: 北緯35度38分15.0秒 東経138度27分52.2秒 / 北緯35.637500度 東経138.464500度