田村 利七(たむら りしち、1848年(嘉永元年3月[1][2])- 1911年(明治44年)12月13日[3][2])は、明治時代の実業家。東京紡績社長。
経歴
酒問屋・宮島義右衛門の子として江戸深川に生まれ、のち田村家の養嗣子となる[1]。1871年(明治4年)三井御用所に入り[3]、1876年(明治9年)三井銀行横浜支店長となる[1][2]。その後、小津清左衛門、長谷川次郎兵衛、西川庄六らと共に深川区東大工町に[4]、1886年(明治19年)東京紡績(ユニチカの前身のひとつ)を設立し社長となった[2]。1903年(明治36年)清の視察を経て南千住町橋場に新工場を建設した[4]。